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元プロアイスホッケー選手に聴く!個≫チームの育み

 

山村:さて、今回のゲストは初めてスポーツ関係の方にお越しをいただきました。日光アイスバックスの元選手で、現役引退後の現在はチームディレクター補佐、そして営業部長を務めていらっしゃいます飯村喜則さんをお招きしています。飯村さん、きょうはよろしくお願いいたします。

飯村:よろしくお願いします。

山村:まず最初にアイスバックスは今、成績のほうはいかがですか。

飯村:今はランキングでいいますと4位になります。アジアリーグは全部で7チームあるんですけれども、そのうちの4位という形で。シーズン序盤ですが悪くない成績かなとは思っています。

山村:じゃこれからが楽しみなわけですけれども、飯村さんの現在のお仕事についてちょっとお伺いしたいんですが、具体的にどんなお仕事をされていらっしゃるんですか。

飯村:今は役職でいいますとチームディレクター補佐と営業部長というのをやっているんですが、メインでは営業という形でやらせていただいています。営業と〓言い〓まして、アイスバックスを支えていただいているスポンサーの方々がいますので、スポンサー、ご協賛いただいている企業へのあいさつ、プラス新規でご支援いただける企業さまを探すという作業ですね。

山村:元選手の方で全く畑違いの仕事じゃないですか。他のチームとかを見たときにそういった方は結構多いんですか。

飯村:他のチームでいいますとあまりないですね。アイスバックスでいうと私を含めて2~3名はいるんですが。

山村:飯村さんはご出身が北海道とお聞きしたんですけれども、ホッケーを始めたきっかけというのは何かあったんですか。

飯村:やはり北海道ということで、こちらでいう野球部、サッカー部みたいな小学校の部活動の中にアイスホッケー部というのが普通にありまして、周りの家の近くの友達がアイスホッケー部に入っていて始めてみたいなと思ったのが最初ですね。なので特段親から言われたとかそういうわけではなく。

山村:高校もアイスホッケーをやっていらしたんですか。

飯村:はい、地元の高校で。中学校を卒業して、アイスホッケーで強いチームが高校にあったので、全国的にも強いチームだったのでそこにアイスホッケーで進学。

山村:特別選抜みたいな感じで? 特選枠みたいな感じなのかな。

飯村:そうですね、そういった形で。

山村:その後はどういう。やっぱりアイスホッケーでずっと。

飯村:そうですね。高校を卒業するに当たって大学も強豪校に行きたいというので。大学はアイスホッケーというのは東京に移るんですよね。北海道は割と大学はそこまで強くなくて、東京の明治大学にそれも同じくアイスホッケーで行かせていただいて、大学で4年間またアイスホッケー部の寮に入ってアイスホッケーに没頭していました。

山村:でも、アルバイトなんかをする時間はないでしょう。

飯村:そうですね。アルバイトはしていなかったですね。

山村:大学を卒業してからやっぱりプロになろうということは思っていたんですか。

飯村:そうですね。思ってはいたんですが、アイスホッケー界というのはメジャースポーツでもないですし、なかなか狭き門でして。なのでトップチームから来てくださいという声が掛からないと入れないというのが、今もそうなんですがありまして。

僕も入りたいという希望はあったんですけれども声が掛からない状態でしたね。なので大学4年生、3年生が終わった時点から普通に就職活動もしていました。幸いなことに何社か内定は頂いていたんですけれども。で、一般就職をしようと心に決めていたんですが、4年生の1月、2月辺りにやっぱりホッケーを続けたいなと思って全て内定を断って。たまたまその時にアイスバックスが7月にトライアウトを受けられるというのを聞いたので、4月に卒業したんですけれどもそこからはフリーター生活をしていました。

山村:トライアウトとかはよく他のスポーツでも受ける人はいるけれども、通っていくのが結構厳しいじゃないですか。

飯村:そうですね。

山村:その時はどんな気持ちというか、モチベーションを維持していたんですか。

飯村:その時は、今考えるとちょっと恐ろしいなと思うんですけれども、あまりその後どうなんだろうとかというのは全く考えていなかった気がします。それよりももうトライアウトを受けて受かることをイメージしながら約3カ月ですね。その時は日雇いのバイトをしていたもので1人で暮らしながら日雇いを。午前中に荷下ろしのバイトをして、午後は練習の時間に使おうと思っていたので、午後はもう1人で普通のその辺の公園のグラウンドを走っていましたね。

山村:でもアイスバックスに来て、全日本に選ばれたわけでしょう?

飯村:はい。

山村:どれぐらいの期間で選ばれたんですか。

飯村:1年目の最後です。1年目はアジアリーグで戦って、最後に世界選手権というのがあるんです。4月からあるんですけれども、それの代表候補選手に1年目が終わった時点で選ばれたんですが、その候補合宿に落選したんですよね。2年目の世界選手権から選ばれたという形です。1年目も最初から試合に出ていたわけじゃなくて半年、半シーズンというんですか、シーズンの最初のほうは全く試合にも出ていなかったですし、たまたまけが人が出て、上のラインというか上のセットで試合に使っていただけるようになった時にたまたまいい結果が出てという。そこからだったんですけれども。

山村:そのいい結果というのは、今振り返ってみた時にどんなことがその理由にあったというふうに。

飯村:1年目に最初試合に出られなかった時に、なんで使ってくれないんだというのをずっと考えていたんですよね。9月からシーズンが始まって12月ぐらいまで「なんで使ってくれないんだろう。何が悪いんだろう」というマインドだったんですよね。それが12月の韓国遠征だったんですけれども、その時に使われた時に何とか結果を出せばいいというマインドに切り替わったんですよね。アイスホッケーって1シフト40秒ぐらいで交代するんですけれども、今までは使ってもらえないというのを考えていたんですが、それよりもその40秒で何かを残そうというマインドに何か切り替わったんですよね。たまたまというか。それで何か気持ちの中で整理がついたのか気が楽になって、その時にたまたま相手から反則をもらってくるプレーをして、またもう一回使われてというのをちょっとずつ積み重ねていったら使われるようになってきたという。

山村:相手にファールをさせるというのは一つの能力なんだ。

飯村:そうですね。その頃ですと、もう1試合で出る機会がなかったので60分間の中で本当に40秒が2回か3回あればいいと。と考えると、そこでそういう選手にとっては反則をもらってくるというのは仕事。

山村:自分の今度、味方にとってはいいことだもんね。

飯村:そうですね。チームにとってすごく大きい仕事をしてきたってなるので、そこからでしたね。

山村:なるほどね。今ファールを取りに行くという、40秒の間でチームに役立つ仕事をしていくというお話だったんですけれども、40秒間って考えた時に自分の中で何か戦略のようなものというのはあったんですか。

飯村:でも本当に出る時間が40秒で、パックを触る時間というのは恐らく10秒ないと思うんですよね。まずパックを取りに行かないとというのは。積極的にパックに近い所に行って、まずパックをもらうことですね。そこからじゃないとチャンスは得られないと思ったので、まずはパックに絡むプレーをしようという心掛けですね。

山村:アイスホッケーをご存じない方もたくさんいらっしゃると思うんですけれども、5人でしょう? 5人ですよね?

飯村:そうですね。プレーヤー5人対5人で。

山村:ですよね。

飯村:はい。

山村:前が3人。

飯村:3人。

山村:それがフォワードですよね。

飯村:はい、フォワード3人。

山村:後ろが?

飯村:ディフェンスが2人。

山村:2人。この3人の中にも何か名前は付いているんですか。

飯村:そうですね、3人のうちの真ん中がセンターフォワード。簡単に言うと守りも攻めも、あとパスを回したりのリーダー的存在。その横に付いている右と左のウイングというんですけれども、が主に攻め専門でしたね。

山村:飯村さんはセンターだった。

飯村:そうですね。私は基本はセンターだったんですけれども、やはり1年目の選手にセンターポジションは与えられないので最初の頃はウイングをやっていました。もう攻め専門。

山村:なるほどね。でも40秒の間にどうしようかというのを考えて出ていくその能力というのは、やっぱりきっとその後の人生にも間違いなく生きる能力が培われたような気がするんですけれども、今チームディレクターであったり営業という仕事をしている中でそういうものが選手との、例えばコミュニケーションとかあるいはスポンサーの皆さんとの間とかで何か生かされているなと思うことってあります?

飯村:そうですね。現役を引退してまずチームスタッフになるといったときに、恐らく現役の選手ですと想像しやすいのがチームのマネジャーとか現場に近い立場の仕事をするという形なんですけれども、私の場合はそうじゃなくて、まずは営業をやりたいとスタッフに言ったんです。営業をやらせてくださいというのは、本当に先ほども話があったように畑が違うので、もうあいさつの仕方も分からないぐらいの。今まで社会人といいつつもプロの生活だったので半社会人ぐらいの生活をしていたので、まず営業で何か勉強をしたいなというのがあったので。が、もう本当に挑戦でしたね。なので最初の頃は失礼を掛けた方々も多々いると思うんですが、でもその中で支えていただける企業の皆さまとか支援していただけるスポンサーの方だとかがいて、違った形でというか。選手時代とは見え方が全く違ったので。選手の時はアイスホッケーをやるのが仕事だったので、それが裏方というかスタッフに変わって全く違う世界というかを見られたので、そういった部分で楽しさを見つけていけたのが良かったかなとは思っていますね。

山村:でも営業って普通はあまりやりたがらないでしょう。どうして営業?

飯村:そうですね。なかなかいないと言われましたけどね。

山村:いないよね。営業はやっぱり大変だというイメージがあるものね。

飯村:そうですね。ただアイスバックスも潤沢なチームではないので、それがずっと言われてはきていたので、そこが一番やっぱりやらないと駄目な部分なのかなとは見ていて気付いていたので、まずはそこで戦ってみて、そこから何かがあるのかなというのは。現時点でも潤沢なチームではないので、まだまだ新しいスポンサー企業さまを見つけていかないと駄目なんですけれども。

山村:でもやっぱり元々の地頭というか、きっとクレバーなんだね。だからそういう抽象的な思考もできるし、どこが大事かということを見極める力も培われてきているからそういうことができるんだと思うし。でも、スポンサーの人たちも企業ももちろん増えるといいですよね。

飯村:そうですね。まだまだですが。

山村:でも今は何社ぐらいなんですか。

飯村:今は200社を超えたところですね。

山村:目標はどれくらい?

飯村:まだまだですね。もう本当に300、400。多くあって困らないと思うので。

山村:そうだね。それはそうなんだよね。ぜひCRTにもお願いをして。なかなか今お話としても面白かったんだけれども、前にお話を伺った時にどなたか外国人の選手の影響を受けたというようなことをお聞きしたことがあるんですけれども、その辺りのところをちょっとお聞かせいただけますか。

飯村:私が2年目の時ですかね。

山村:プロになって?

飯村:はい。プロ2年目の際にアメリカのNHLといって、野球でいうとメジャーリーグとかというトップリーグのところから、そこで十何年もやって1,000試合以上出ているスーパースターが日光のアイスバックスに来たんですよね。本当に彼は現役を何十年とやってきて、もう最後のシーズンを日光のこのチームで終わるといって来たんですけれども。

山村:選手として?

飯村:はい、選手として。もちろんそこまでトップリーグでやっていたのでお金もたくさん持っていて、最初は買い取るみたいなぐらいの選手だったんですよね。ただ選手で来て、たまたまその2年目の時にもう私はその時はセンターフォワードをやらせてもらっていたので、彼はもうずっと長年ウイングしかやっていない選手でして、私と1年間組んで。彼はもう最後、終わる3カ月ぐらいかな。「俺が現役でこれだけいいキャリアを積んできたけれども、現役最後のセンターはお前だから。だから3カ月間はもう毎日ご飯を食いに行くぞ」といって3カ月ぐらい本当に夜ご飯に毎日連れて行かされていたんですけれども。よく言われていたのがちょっと真面目すぎるというか、ホッケーに集中し過ぎているというのを。もう少し気を楽にしてチームメートとも飲みに行ったりとか。もう本当にその時は結果を残すことしか考えていなかったので生活は全て切り捨てていたというか。この時間にご飯を食べて、もう休んで寝て、次の日の練習に備えてと。すごい大事なことなんですけれども、ただそれをずっと続けていくと周りも疲れてきちゃうよと言われて。楽でいることが周りもそうだし自分自身も一番プラスになると思うよと言って、それで最後の3カ月間付き合えと言われたんですよね。そこで何かホッケーを楽しむというか、少し心に余裕ができたというか。それに伴って結果も付いてくるようになってうまく回り始めたというか、すごい勉強になってですね。

山村:そういうのは自分の今までやってきたことを否定されるとは思わないと思うんだけれども、でも自分のやり方を変えていかなきゃいけないわけですよね。

飯村:はい。

山村:だからそういうものは抵抗とかはなかったの?

飯村:少しはありましたね。やっぱりそんな中でも自分の中で切り詰めて、前の日にお酒を飲まずに切り詰めてとかご飯を節制してとかという気持ちはあったので葛藤はありつつも、もうほぼ無理やり連れていかされてたので(笑)。

山村:でも、きっと見抜かれていたんだろうね。

飯村:うん。でもすごく勉強になりましたね。

山村:本当にTake it easyみたいな感じをきっと必要だと思ってアドバイスしてくれたんだろうけどね。

飯村:そうですよね。

山村:これから先、飯村さんがご自身であったり、あるいはアイスバックスの選手であったり若い選手であったり、育んでいきたいことというのはどんなことがありますか。

飯村:まずは選手である以上は結果を出して。僕自身もそうですけれども、やはりリーグ優勝を今までしたことがないのでそれは絶対的な目標としてファンの皆さま、スポンサーの皆さまの期待に応えられる結果を出していきたいなとはそこは変わらずにあります。プラス、アイスホッケー選手として以上に人として、やっぱりどこかアイスバックスの選手はちゃんとあいさつができるとかそういった部分で。

山村:社会人として。

飯村:社会人としてもそうですし、何か他のプロスポーツチームとは違うよねといったところをやっぱり身に付けていくのが大事かなというのはすごい思いますね。そういった部分がしっかりしていけば逆に結果が付いていくのかなっていいますか。どっちが先かなというのはあるんですけれども、僕の考えだと後者の人間力を上げていけば結果が付くんじゃないのかなというのは現役時代からあったので、そこが先かなと思いますね。

山村:それはとっても大事なことだと思いますよね。比較的、今強いチームってそういうところを割と重視するようになってきている気がするんですね。

飯村:そうですね。やはりトップリーグできてもトップリーグの中のトップのトップの選手は見ているとしっかりしているというか、人間力が高いのが最終的に結果を出しているというのがありますよね。やはり競技なのでセンスだったりとか体格とかでずっとトップの結果を残す人はいるんですけれども、トップリーグに行ってさらに上に行く選手はプラスで人間力がある選手がやはり代表でも活躍しますし、現役が長いですよね。

山村:今お話をされている飯村さんがイメージされている人間力というのはもう少し具体的にはどんなことをイメージされているんですか。

飯村:僕は今結構チームディレクター補佐としてチームの練習を見ているんですが、よく気になるのが、練習中なのでパックがたくさんあって練習をしていますよね。練習内容の際にパックが通行の邪魔というかプレー中の邪魔になるような所に転がっているときがあるんです。そういうのをさっとよけられる選手というか、あまり気にしていない選手というのは恐らく自分の追っているパックしか見ていないんですよね。ただ練習をやっている所の転がってきたパックとかをよける選手とかは、やはり見ているとトップの選手ですね。

山村:やっぱり周囲に対して気遣えるんだね。

飯村:そうですよね。

山村:だからそういう意味では、今話を聞いているとすごく想像する力が高かったり思いやる気持ちがやっぱり高いことがチームに貢献していけるときっとどこかで思っているんだよね。

飯村:そうですね。

山村:本当にきょうはすごくいいお話を伺えたように思います。きょうは日光アイスバックスのチームディレクター補佐、営業部長の飯村喜則さんにお話を伺いました。アイスバックスのご活躍を心からお祈りしていますので、頑張ってください。

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