メニュー

作家に聴く!体験を光る物語に育む

山村:きょうは、作家でいらっしゃいます、下村徹さんにスタジオのほうにお越しいただきました。きょうは、とても緊張していて、幕下と横綱っていう感じですので、お手柔らかにお願いいたします。まずは、下村先生についてご紹介させていただきますと、1930年に台湾でお生まれになって、その後、日本に帰って来られて、1953年に慶應義塾大学の文学部を卒業と。同じ年の4月に大同通商株式会社に入社をされ、その後、米国に渡って、アメリカに渡って、これは何年ですか、何年いらしたってことなんですか。1956年から1987年だから、約30年間ですか、アメリカにいらっしゃったと。

下村:駐在は、実際に向こうに住んだのは19年ですけど、本社に帰ってから何度も行かなきゃいけませんでしたから。

山村:そういったご経験をお持ちの後、作家としてデビューされたということでよろしいでしょうか。

下村:デビューなんて、そんな仰々しいことじゃないですけど、ただ書いたというだけで。

山村:最近、『友を裏切った男 あるラグビーチームの物語』という小説を三省堂書店からですか、これ、創英社と三省堂書店。

下村:子会社です。

山村:子会社なんですか、から出版をされて、ちょうどラグビーのワールドカップもあったことですので、そういった話を含めてお話を伺えればというふうに思っています。ラグビー、下村先生もご経験が、慶應大学であるということですけれども、今回のワールドカップは、大体、全てご覧になったんですか。

下村:全部、もちろん一生懸命、見ました。

山村:いかがでしたか。

下村:日本勢、頑張りました。最後、8強まで行ったんですけど、その後は、一番強い、南アフリカに当たったもんですから、それから前に行けなかったのが残念ですけど。南アフリカは、世界の他のチームに比べて、体が強かったんです、徹底的に。ですから、日本がこれから8強以上になろうと思うと、相当、体の大きな人間を、特にフォワードは集めないと、前に進むわけにはいかないだろうと思うんですけど。

山村:印象に残ったシーンとかっていうのは、ございましたか。

下村:ありました。フォワードの3列の一番右の選手が、韓国、出身なんです。彼が押し勝ったときに喜んで手を上げて、万歳してたんですけど、それは非常にこの人、韓国で、今、日本と韓国こんなに悪いのに、本当に日本のチームのためにやってくれてるなと思って感激しました。私はプレーでは、日本がフォワードで、普通はフォワード取れないんですけど、フォワードで何回もパスして、最後に、一度も笑わないっていう男がトライして。あれの印象が一番、大きかったですか、プレーでは。

山村:もちろん下村先生は、さっきご紹介すれば良かったんですけれども、お父さまが下村湖人先生、『次郎物語』を書いた方といえば皆さんお分かりだと思うんですけれども、その下村湖人先生の3男ですか、としてお生まれになってるんですね。そういった、お父さんとの関わりとか、小さいときのことっていうのは何か思い出に残ってることっていうのはありますか。

下村:父の話をそれじゃあさせていただきますけど、父は、生まれた家が没落して、非常に貧乏だったんです、佐賀県で。佐賀の有名な酒造りの下村家の主人に、おまえ東京にやるから、留学させるから、帰ってきたらうちの娘と結婚して、下村家を継いでくれという約束のもとに東京に行って、帝大、当時の、今の東大ですけど、当時の帝大の文学部に入ったんです。当時から、内田というのが生まれたときの姓なんですけど、内田夕闇っていう姓で、『帝国文学』の、学校で発行してる雑誌の主筆を務めまして。当時、大変、有名になって、夏目漱石が、これからの日本の文学は、内田くんと、芥川の2人で恐らくすむだろうといったぐらいなんです。芥川さんは関東大震災で亡くなったんですけど。父は大学を終えて佐賀に帰ってきて、いよいよ下村家に婿入りっていうときに分かったんですけど、義理の父親になる人が大変な遊び人で、九州中の芸者を上げたり、東京に芸者、連れて遊びに来たりして、もうすっかり財産なくなっていたところに婿入りしたわけです。それまでは文学で身を立てようと思ってたんですけど諦めて、学校の教師になって、佐賀の学校を転々として、最後は佐賀中学かなんかの校長だったんですけど。親友の五高の先輩の田澤さんっていう有名な政治家なんですけど、その人が勧めててくれて台湾に行ったら、私は、それ確認したわけじゃないんですけど、恐らく海外に行ったらお給料も非常に良かったと思うんです。下村家の再興ということもあって、台湾に赴任して、台北高等学校の校長やってたんです。そのときに、賄いの、日本人の夫婦が食料をごまかして、生徒の食事が非常にまずかったらしいんです。生徒がストを起こしまして、生徒全員がストを始めたんで、当時の総理府は台湾で、中国から工作員が入ってきて、反日の運動をいろいろやってたんです。それ、非常に神経質になってましたんで、全校ストした人間みんな退学ということを言い出したわけです。父は、将来の台湾を背負って立つ若者たちを全員、退学させて、台湾の将来どうなるんだということで、総理府とけんかしたわけです。それで、自分の職を引き換えに生徒を戻してもらって、自分は日本に帰ったわけです。そのとき私が1歳半ですか、ですから、私は台湾の記憶は全くないですけど。田澤さんの世話で東京の小金井に今でもあるんですけど、浴恩館っていう青年を育成する学校みたいな、塾みたいなのがあるんですけど、そこの塾長になって、『次郎物語』を書き始めたわけです。

山村:今、下村湖人先生って、お父さまのお話もあったんですけれども、お父さまに関する何か思い出っていうのはどんなことあるんですか。

下村:父は、私に言わせれば、子どもの教育が失敗したんじゃないかと思うぐらい、何にも言わない父だったです。いつも黙ってて、おまえが成長して立派な人間になることを祈ってるっていうような感じで、口には一切、叱るようなこともあまりなかったです。唯一はっきり教訓みたいなことを言ったのは、人間の愛情っていうのは、愛っていうものは、近過ぎると相手が焼けてしまうと、遠過ぎると届かないというのを、庭で野菜かなんか作りながらぽつっと私に言ったのが、教訓的な話の唯一だったです。

山村:今の話なんか伺ってると、そこだけで話をもっと伺いたくなるところがあるんですけど、今のお父さんやお母さんがた、私も職業柄、見ていると、何でもしたがるんです、子どもに。だから、何にもしない家庭教育って大事なんじゃないんかなって私、今、思ってて。今の話を聞いてると、すごくよく分かるっていうか。何かお父さんと一緒にやった思い出とかっていうのが特別おありっていうことじゃないんですか。どこかに行ったとか。

下村:戦争中ご存じかもしれませんけど、防空壕っての東京の家では造ったんです。防御の、体を守るためにはコンクリートの防空壕っていうのは、当時、割合、簡単に造れたらしいんでうちにも庭に一つ造ったんですけど。父は本をいっぱい持ってたもんですから、自分で庭を掘って、本の防空壕みたいなのを造ったんです。私、随分、手伝いましたけど。ところが素人の悲しさ、湿気がものすごく出て、全部、本は駄目になっちゃったです。

山村:もったいなかったといえばもったいなかったですね。そういったお父さまに育てられてというか、お母さまの思い出っていうのは何かあるんですか。

下村:母親はさっきお話ししましたとおり、大金持ちの下村家の娘ですから、あんまりしゃかしゃか働くような母親ではなくて、いつも座ったきりで、何て言えばいいんですか、教育的なことは全く言わなかったですか。やっぱり最後まで金持ちの娘だったんじゃないですか。

山村:そうすると、お父さまに育てられたっていう感じなんですか。

下村:育てられたっていう感じがないんです、父も母も。何て言うんですか。

山村:自分が育ったっていう感じですか。

下村:放任主義だったんじゃないですか。

山村:放任っていうか、なんか、こういう心が、きっと気にかけてくれてたところがあるんだろうと思うんです。

下村:もちろんそうだと思いますけど、いちいちうるさく言うとか、そういうことは全くなかったですから。

山村:『次郎物語』なんかを読んでみると、もっと厳格なんかななんて思ってたりもしてたんですけど、そうでもないんですね、じゃあ。

下村:心の中は非常に、自分に対しては非常に厳しかったんじゃないですか、父は。

山村:それ以降、商社に入られてアメリカに行かれるわけですけれども、その前に、先生も慶應大学のときにラグビーされてたんですよね。その頃の何か思い出っていうのはたくさんおありだと思うんですけれども、何か印象に残っているエピソードっていうのは。

下村:運は努力で左右される。努力で左右されるだったですか、ありますでしょう?

山村:ありました。努力は運を支配するですか。

下村:ラグビーってのはもっとも運で左右されるスポーツなんです。というのは、形で、蹴ったらどう跳ねるかわかんないんです。

山村:あのボールの形が。

下村:そのために、私、書いてますけど、雪の翌日の試合で、あんなボールが跳ねるはずないんです、普通は。それを一生懸命、走ってた選手の胸にばっと入っちゃったんです。それで勝負が決まったんですけど、そういうふうに努力してる人間には、最終的に褒美を与えてくれるスポーツじゃないかなと思うんですけど。

山村:そういった大学時代の経験があったり、いろいろな思い出を持ちながらアメリカに渡られて、いろいろなご苦労もあったと思うんですけれども、その辺のところをちょっとお聞かせいただけると。何か印象に残ってる。

下村:アメリカの、日本の企業でやったことない、アメリカの企業を買収しようっていう話になりまして。

山村:また随分、大胆なことを。

下村:それで、銀行も心配したんですけど、どうしてもこのチャンスで買収しようっていうことで。向こうのオーナーはもちろん同意したんですけども、組合が、向こうはAFL-CIOっていうのと、チームスターって、うちの会社の倉庫にはチームスターっていう組合が入ってたんです。アメリカの組合ってのは、職業によって一つなんです。日本は企業で一つでしょう、だから自動車関係だったら自動車関係で一つ。ウエハウス、倉庫の従業員だったら倉庫の従業員で一つ。ところが倉庫の従業員で、当時はAFL-CIOとチームスターっていうの二つあったんです。たまたまうちはチームスター。買収する会社はAFL-CIO。そのやりとりがあって、買収するために一番、苦労したんですけど、その話なんかはこれから日本が向こう行って、企業で工場、造ったときなんかに非常に参考になると思って本、書いたわけですけど。

山村:この、『友を裏切った男』というこの物語、あまりこの話しちゃうとネタバレになっちゃって売り上げに影響しちゃうと申し訳ないのであまり触れないんですけど、この中にもやっぱりアメリカでの経験が素材になってらっしゃるんですよね。

下村:初めの第1章は、100パーセントアメリカの経験です。

山村:実際にあった。

下村:実際に私にあったわけじゃないですけど、マフィアが実在しない自動車事故のつくって、証人もちゃんと立てて、マフィアの息のかかった人間ですけど、もちろん。誰かを捕まえて、おまえやっただろうと。車の番号も全部、調べて、アリバイもないっていうのを確認して、それでやるもんですから。

山村:先ほどもちょっとお話を伺ったところ、私が一番、気になったのは、やっぱり裏切ったっていう言葉なんです。この裏切りっていう言葉なんですけれども、これがテーマになったのはどんなことなんですか。

下村:随分、題が悪いって言われました。なんで、ラグビーに裏切りを前に出したんだっていって。先輩も仲間も言いました。もっと健全な名前にしたらもっと援助してやったのにって。

山村:そうかな。

下村:言われたんですけど、私はそれ以外、名前の付けようがなかったもんですから。

山村:今ずっとこういった、今回、出された小説についてお話も伺ってきたんですけど、せっかく奥さまの下村洋子さんもいらっしゃるので、いかがですか、今のようなお話。

下村(洋):ありがとうございます。

山村:小説、書かれるときにもずっと奥さまのほうが読まれたりしたんですか。

下村(洋):私は全くタッチしてませんし、ただ、書き上がったときにちょっと「見てくれる」って言うんで。そのときは、送り仮名だとかそういうチェックでしたけど。内容的なことはいじってません、全く。

下村:おかしいよっていうのは1、2、3あったね。なんだっけ。

下村(洋):ここはこうしたほうがいいんじゃないとかって、第三者的に読んで、それは。だから3回ほど読みました。

山村:どんなご感想だったんですか。

下村(洋):やっぱりこの人は誰だとか、その想像を、すごく面白かったですけど。でも、全体的にはとても面白かったです。面白い題材じゃないかもしれないけど、でも、とても良かったと思いました。

山村:さっき先生がラグビーのことをっていう話だったんだけど、それ以外のことも随分、考えさせられる物語だと思います、本当に。僕なんかは、もう、裏切られたというところが一番、なぜこのテーマなんだっていうことだったし。下村先生がクリスチャンだって聞いていたので、すぐにユダの話が思い浮かんできたりとか、何かそういうものがあったのかなとか、先生の今までの経験の中で裏切りっていうものをそこに意味付けをして自分なりに解消していくっていうか、そういうものがあったのかなとか思いながら読ませていただいたんですけれども。でも、今の先生の話を聞いてると、ラグビーっていうのが、すごく先生の中にあるのかなって、いろんなつながりであったりとか。

下村:うれしいです、そう言っていただくと。

山村:だから、ラグビーボールって確かに思ってもいない動きをするボールだと思うし、それが一番いいように先生の周りに配置されていろんな経験があるんだなって、すごい豊かな経験だなと思って今、うらやましく思いました。

下村:確かに友達は、いい友達がいっぱいいます。

山村:生きるっていろんな矛盾の中で生きてていいんだっていうことがすごく感じられたんです。さっきもお話ししてて、先生の思いと違う読み方ばっかりしてるような気もするんだけど、でもすごくいろんなことを本当に考えさせられる物語だなって。やっぱり小説じゃなくて、僕、これ物語だと思うんです。

下村:うれしいです。そう言っていただけると。

山村:読んでいて、物語られているから、すごく受け入れやすいし、なおかつ、確かに裏切りとかって良くないって思うんだけど、でも、背景にあるものを知ったりすると、裏切りは良くない、でもねっていう、そこがこう現れてくるような気がして、救われる気がするんです、やっぱり。いろいろと『友を裏切った男 あるラグビーチームの物語』を9月ですか。

下村:9月20日です。

山村:9月に出版をされた下村先生に、いろいろと話を伺うことができました。きょうは、下村徹さんをゲストにお迎えしてお話を伺うことができました。お忙しいところ、本当にありがとうございました。

下村:こちらこそ。

作家に聴く!体験を光る物語の続きを聞きたい方はコチラ!

▲ ページのトップに戻る

Close

HOME