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在宅医療専門医に聴く!幸せな在宅環境の育み

山村:さて、今回の対談のお相手は、医療法人社団悠翔会の理事長、診療部長の佐々木淳さんです。筑波大学で医学を学んだ佐々木さんは、卒業後三井記念病院で内科医として勤めた後、理想の在宅医療の実現を目指して、2006年に在宅クリニック作りを開始。現在、70名の医師とともに、24時間体制で訪問診療を行っておられます。きょうはお忙しいところお時間を頂きましてありがとうございます。

佐々木:はい。

山村:早速なんですけれども、佐々木先生は在宅療養支援、いわゆる在宅医療を今一生懸命取り組んでいらっしゃるということなんですけれども、もう少し素人にも、ちょっと分かりやすく在宅医療を、先生が今取り組まれていることをちょっとお聞かせいただけますか。

佐々木:はい。在宅医療は、基本的には継続的な健康管理が必要だけれども、自分で病院に通うことが難しいという方に対し保険で提供できる医療サービスなんですね。人間年を取るとだんだん弱っていきますよね。で、いろんな病気に掛かっていきます。で、結果として、一人で動くのがだんだん難しくなってきて、例えば介護保険を使って生活したりしてる方もいますけども、そういった方が、病気があると、でも病院に連れて行くのが大変だっていったときに、やっぱり病院に行くのをやめちゃうと具合悪くなったりして、で、救急車で病院に行かなきゃいけない。

 で、具合悪くなって病院に行くと入院しなきゃいけない。でも入院するとやっぱり弱って帰ってきちゃうんですね。なので、日頃から悪くしないように、きちんと健康管理をしていきましょうねってのが私たちがやってる在宅医療。一般的には訪問診療って言います。で、お医者さんが基本的には定期的にご自宅を訪問します。

 外来通じてる患者さんって2週間とか1か月に1回ずつ定期的に病院に行きますよね。その代わりに、私たちが2週間とか1か月に1回ずつ患者さんの家に行くと。で、体の状況をチェックして、悪くなってるとこはないかなとか、以前からこういうふうに変化してきてるけどこっから先こういうことが起こるんじゃないかなとか、いろんなことを予測しながら、できるだけ安全に生活が継続できるように、医療面からサポートするってのが僕らの主な仕事です。

山村:今まではというか、今もなんですけれども、患者さんが病院に自分自身で動いて行くと。で、それを今度ドクター側が動いて行くってことですよね。

佐々木:はい。

山村:そういった転換っていうものを先生が必要と思われたきっかけのようなものっていうのは何かあるんですか。

佐々木:大きく分けると二つあります。一つは、通院できない人が病院に来るっていうのに、すごく大きな社会資源が使われるんですね。例えば病院に行くと半日は掛かりますよね。その間誰かが付き添わなきゃいけない。で、仕事している娘さんが仕事休んで病院に付き添うと、娘さんの収入は半日分減っちゃう。あるいはヘルパーさんに頼もうと思うと、ヘルパーさんは半日仕事がそれで潰れちゃう。

 それって結構大変で、で、病院に行って何してもらうのかって言うと、血圧測って薬ぽんってもらって終わりなんですよね。これだったらもうちょっと効果的な時間の使い方、お金の使い方があるんじゃないだろうかってのが一つ。それからもう一つは、家に行かなきゃ分かんないことってのがあるんですね。

山村:なるほど。

佐々木:患者さんたちは病院に来ると、みんな模範解答しか言わないんです。「調子いいです」「薬ちゃんと飲んでます」「先生に言われた通りやってます」って言うんですけど、いざ家に行ってみると、飲めてない薬が山盛りあったりとか、薬は飲めてるんだけどご飯がちゃんと食べれてなかったりとか、あるいは受け答えはすごくしっかりしてるんだけど実は認知症があって、ちょっと生活環境に難しさがある。

 例えば真夏なんだけれども、エアコンの付け方が分かんなくて、冷房と暖房が分からないみたいな人がいたときに、この人はうちん所に定期的に来て、ちゃんと薬もらってるから大丈夫だって言えるかっていうとそうじゃなくて、家に行ったら薬飲めてない、ご飯食べれてない、あるいは生活環境がかなり厳しいってこともあるんですね。

 なので私たちは、その患者さんの病気を見ることよりも、病気を持ったこの人が、自宅で安全に最後まで暮らし続けるためにはどういったことが必要なのかっていうの、ただ単に薬を出すだけじゃなく療養環境全体を見る。その中では、例えば家族の介護力とか、あるいは経済力とか、あるいは生活環境。ヨタヨタしてるのに3階に住んでてエレベーターなかったら、やっぱりいずれ孤立しちゃいますよね。そういったことも含め全般を見ていく。生活を見るってのが年を取ってきたらやっぱり大事なんじゃないかなって思ったんですね。これって家に行ってみないと分かんないですよね。

山村:もともと先生は病院の勤務医とかをされていたんですか。

佐々木:私は勤務医でしたね。最初の5年半は東京の秋葉原にある三井記念病院って急性期病院に5年半内科医と消化器内科医として仕事をして、で、その後東京大学の大学院に行きまして、そこでは消化器内科の研究をしながら、他の患者さんの治療をしながら勉強をするってことをしてました。

山村:本当に素人的な質問で申し訳ないんですけど、勤務医のほうが、ご自身の時間とかそういうものっていうのは使いやすいというか、そういうことはないんですかね。

佐々木:そうですね、勤務医っていうのは、病院の中の、ちょっと言い方悪いですけど歯車の一つなので、与えられた仕事をしていくってことですね。例えば研修医であれば、入院してくる患者の全身管理をすると。で、だんだん偉くなってくると外来をやる、検査をやる。

 僕最後の1年半ぐらいはずーっと肝臓がんの治療、ラジオ波の治療って言って、肝臓がんを体の表面からエコーで見ながら針でそれをぷすっと刺して、先端をラジオ波ってエネルギーで焼くんですね。局所治療って言うんですけど。そういうがんの治療とかをやってました。来る日も来る日もこればっかりですね。だから本当に役割分担の中で、与えられた責任を果たしていくってのが、基本的には病院のスタイル。

山村:随分思い切った転換だったですか。

佐々木:在宅医療は、患者の家に定期的に訪問に行くだけだったら、変な話、日中病院抜け出して、2、3軒回って途中でお茶飲んでみたいなのどかなイメージ持たれるかもしれませんけど、患者さんってやっぱり具合悪くなりますよね。具合悪くなるのは昼間とは限らない。夜かもしれない。日曜日かもしれない。そのときに私たちが電話を受けて、相談ができて、必要があれば往診に行けるって状況がやっぱりないと、在宅医療にはならないと思うんですね。

 なので一般的には訪問診療って言って、昼間患者さんの家に定期的に行く以外に、何かあれば24時間体制で往診ができるっていうのが、一応在宅医療の条件ってことになってます。だから在宅医療やるってなったときは、もう24時間電話を持って、何かあったらそこで仕事が始まるっていう覚悟を決めないと、基本的に在宅医療はできないですかね。

山村:何が先生をその志の高さまで引き上げたんですか。

佐々木:僕もともと在宅医療って全く関心がないというか、存在すら知らなかったんですね。病院で働いてるときは。で、大学院生のときにたまたまアルバイトで在宅医療の存在を知って、「お前明日からこのクリニックで働け」というあてがわれたアルバイト先が在宅医療だったんですね。で、在宅医療っていうのを初めて行ってみて、正直何をやっていいか分かんないですよ。病院だったら病気を治すっていうミッションがあるから、われわれは患者の病気を見て、病気を治療して、治ったら退院ですけど、在宅の患者さんたちはみんな治んない状態なんですよね。

 脳梗塞で左側が麻痺してる。パーキンソン病がある。認知症がある。で、基本的に病気は徐々に進行してって、あと数年以内にこの人は多分他界するんだろうっていう見通しの中でその人たちは家にいて、で、僕らはその人たちん所に定期的に行って、薬を置いて帰って来るですけど、これって何しに行ってんだろうって、最初は分かんなかったんですね。だけど、何人かの患者さんたちとちょっと親しくなってくるにしたがって、実はそれって僕がその人の病気しか見てなかったんだってことに初めて気付いたと言うか、例えばALSの患者さん、ALSっていう神経難病があります。これ手足の先からだんだん動かなくなって、最終的には食べることもしゃべることも呼吸することもできなくなって、人工呼吸器と胃ろうを付けなきゃ生きていけない病気ですね。

 で、僕病院にいたときはALSの患者さん何人も受け持ちしました。で、呼吸器を付けるかどうかっていう判断をしたときに全く動けない状態で、人工呼吸器と胃ろうだけ付けて生きていく何てきっとすごく辛いし、あなたがそういう選択をすると、あなたの家族は一生あなたの面倒見なきゃいけないし、これって誰も幸せにならないんじゃないの? みたいなことを、そーっと患者さんに説明を、病院にいたときは普通にしてたんですね。健常者の立場から見てみたら、全く動けなくて機械がなきゃ生きていけない何て辛いじゃないって思ってたんですよ。

 だけど実際に在宅医療では、機械を付けて生きてる人はたくさんいるんですね。で、僕最初にその人たち見たときに、あ、やっちゃったなって思ったんです。死ぬのが怖くて、機械を付けた結果としてこの人は何年も機械に生かされなきゃいけない。本人もかわいそうだし家族も可愛そうだなって、最初は思ったんですけど、いざ実際本人たちと話をしてみると、本人たちは別にその状況を苦痛だとは思ってないんですね。ちょっと生活はかなり不便ではあるけど、私幸せに暮らしてますっていう患者さんがすごく多いんですよね。

 で、ある女性の患者さんは、ALSで全く動けないんですけど、彼女が言うには、「私病気になる前は、旦那とほとんど一緒に時間を過ごしてなかった」と。「旦那は四六時中仕事にいて、夜は酒飲んで帰って来て、だけど私病気になってから旦那は私の側でいてくれるようになりました」と。「今すごく幸せです」とか。あとは患者さんによっては眼球の動きで文字を入力して、文章を書いて、で、それで思いを言葉にすることができる方がいたり、会社を経営したりしてる人もいますね。だから、手や足は動かないかもしれない、呼吸は呼吸器が必要かもしれないけど、生活を楽しんで、社会に参加できてる人が結構たくさんいる。

 僕が病院で働いてたときは、健康じゃない状態イコール不幸だって思ってたんですね。で、病気を治せなければ僕らは患者さんを幸せにできないとずっと思って来たけど、だけどよくよく考えると、われわれ年を取ればいつか必ず治らない病気になるし、いつか必ず年で弱って寝たきりになって、認知症になって、死んでくんですよね。病気が治らないことが不幸だって価値観をわれわれ医者が持ち続け、それを患者さんに刷り込んでたら、すべての人は死ぬ前の数年間不幸に生きてくってことになりますよね。だけど在宅の環境では、病気があっても楽しく生活をしてる人がいるし、その状況を笑いに変えて家族と一緒に楽しく生活をしている人がいる。で、死が近い状況になったとしてもいい人生を送れたって納得している人がいる。病院で見てきた患者さんたちと家で見てる患者さんたちの姿が全然違うんですね。

 それはやっぱり患者さんたちの意識が治らない病気ってことじゃなく病気があっても私は幸せに生きてるっていうふうに、やっぱりどこかで気持ちが転換できてる。で、弱って死んでいくってわれわれの、この切ない生き物としての運命を、悲しい悲劇で終わらせるのか、終わっちゃったけどいい人生だったと笑顔で振り返れるのかっていうのは、これやっぱり考え方の違いだけで、この考え方の転換を難しくしてるのは、病院にいる医者の悪さというかですね。

 だから家にいて、人間ってそんなもんだよっと。生活楽しければ別に手足動かなくたっていいじゃん。多少物忘れあったっていいじゃんっていうのはやっぱり伝えて行かなきゃいけないし、同時にその弱って死んでいくっていうのが、医学の敗北だとか、あのときちゃんとやらなかったからとかそういうことじゃなくどんな形でありいずれ死ぬんで、だからそれまでの時間をどう過ごすかってことをちゃんと考えたほうが幸せじゃないかとか、やっぱり伝えなきゃいけない価値観が十分に伝わらない状態でみんな弱って死んでいくっていう、人生初めての体験を、今しなきゃいけない状況にあって、で、これが僕はいい医療を提供するってことよりももっと大事なことなんじゃないかなって思ったんですね。

 われわれの仕事のエンドポイントというか目的は何かっていうことを考えると、病気を治すってところにフォーカスするお医者さんはいてもいいと思うんですよね。専門家じゃなきゃ治せない病気ってのはたくさんありますから、そういう専門医は確かに必要ですけど、ただ人間って病気だけで生きてるわけじゃないから、で、健康でいるために生きてるわけでもないし、やっぱり年とともに弱っていく体とともに、どう上手に付き合いながら最後まで暮らし続けられるのかってことを、誰かがガイドしないといけないですよね。今残念ながらそれが病院にいる臓器の専門医しか日本にはいなくて、病気を持ったあなたという人を丸ごと見てくれるお医者さんってのがやっぱり日本には圧倒的に少ないですね。

佐々木先生のインタビューは後半もございます!もしご興味がある方はコチラを是非!

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