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和菓子職人に聴く!時代に沿った新たな文化の育み

山村:さて、今回のゲストは、和菓子職人、三宅正晃さんをお迎えしています。三宅さんは、工業高校を卒業後、東京都青梅市の和菓子店で5年間修行を重ね、6年前に帰郷、お父さまが真岡市で創業された和菓子店、『紅谷三宅』で菓子職人として経験を重ね、現在、二代目店主を務めていらっしゃいます。

日本菓子協会最優秀技術会長賞、全国菓子研究団体連合会上生菓子部門グランプリなど、各種コンクールの受賞歴も多く、巧な技術と繊細な表現力は高く評価されています。それでは、三宅さん、きょうはよろしくお願いいたします。

三宅:よろしくお願いいたします。

山村:とても若い、和菓子の職人さんっていうことで、驚いているんですけれども、大変、失礼ですけれども今、おいくつなんですか。

三宅:今年で29になりましたね。

山村:5年間、高校卒業後、東京で修行されたということですけれども、その辺りのところからお聞きしたいと思うんですけれども、きょうは隣に奥さまもいらっしゃるので、どうぞリラックスしてお話しいただければと思うんですけれども。その頃のことを思い出すことっていうのは結構あるんですか。

三宅:やっぱ朝起きるのが早かったってことと、何かやんなくちゃっていう気持ちは、今もありますね。

山村:その頃の、つらかった思い出のようなことっていうのは、もし何かエピソードがあれば教えていただきたいんですけれども。

三宅:作品会とか、持ち寄り会があったんですけれども、そこで、自分の作品を作って持ってくっていうのが、一つの流れでいつも自分のルーティーンの中にあって、毎日仕事の中で、きょうは何を作ろうとか、こういうデザインが思い付いたからちょっと書き留めとこうとか、そういうこと考えて、いつも仕事が終わった後に、日付が変わっちゃうぐらいまで、いろいろ考えたり試作してみたりとか兼ねて、そういうのがちょっと、つらかったなってのもあったんですけど、でも、やっぱり自分がやってる中で、それが唯一、自分ができることだったんで、認めてもらえるようにそれを続けるってことが、やっぱつらかったですかね。

山村:やっぱり認めてもらいたかった。

三宅:そうですね、例え、いいもの作っても、若い人が作って持っていくと、これはあなたが作ったものではないんじゃないですかって言われるときもあるくらい、そういう世界だったんで。

山村:一般的に、職人さんの世界って、どの世界も厳しさっていうのが裏にある感じがするんだけれども、一生懸命自分が作っていって認めてもらいたい、それは親方になんですか。

三宅:親方もありますけども、そのコンクールに出してること自体、皆さんの審査員自体に、自分のものを目に留めてもらいたいっていう気持ちがありましたね。

山村:なるほど。そのために、どんなことを例えば、工夫をされていったんですか。

三宅:無我夢中で作ってきたんですけど、自分がきれいだって思うものが、他の見る人にとってもそれがきれいなのかっていう、その疑問もありましたし、そういったところで、結構、ちょっと苦しかったかなってありましたね。

山村:美意識の問題みたいなところになってくるんだろうと思うんですけれども、三宅さんが持ってらっしゃる、その和菓子の美意識って、例えばどんなことなんですか。

三宅:自分は、もともと細かい仕事っていうか、そういう作業がとても好きなタイプで、模型とかそういう細かい物を小さい頃から好きだったのが、その延長線上にあるかなっていうのもあるんですけど、もう精巧に作られた緻密な物っていうか、食べ物とちょっと程遠い、芸術品に近いような物を、自分は今、手掛けてるんですけど、ちょっと食べ物にしては手が掛け過ぎたかなっていうぐらいのものですね。今、自分がやってることは。

山村:工業高校を卒業されてるんですけれども、工業高校では何学科とかだったんですか。

三宅:機械科っていう所に入ってたんですけど、なんで機械科に入ったかっていうと、自分は部活、柔道やってたってこともあって、その高校に入ったこともあるんですけど、もともとメカニック系のことも、歯車とか、そういう金属系の物が組み合わさるっていう、男のロマンじゃないですけど、そんな感じのが好きで、そういう動機ですかね。

山村:工業高校で学んだこと、例えば設計するとか、そういうことって生きてるって今、思われます?

三宅:精密な図形とか作る面でおいて、和菓子って設計、図面って結構、書いたりするんですね、絵柄とか。それにおいて、精巧な図っていうのは、やっぱり工業高校に行って役に立ってるんかなって、今思えば、役に立ってるって言えますね。

山村:今、よくマーケティングの世界であったり、あるいは、最近ちょっと聞く言葉で、その美意識っていう問題があって、美意識の中の、一つの要素として、ある物、デザインされた製品であっても、あるいは和菓子であってももちろんいいんですが、そこに対してのストーリーのようなものを、お客さまは求めていくっていうような考え方が主流というか、かなり出てきていて。例えば、和菓子の世界で、そういった精巧なものをデザインしていく、それは一つのやり方だと思うんだけど、そこに何か、ストーリーみたいなものっていうのは付けていかれるんですか。

三宅:もちろん自分としては、いくつか種類を作ったら、それが1枚の絵になるように作りますね。例えば、五つ盛、三つ盛って、和菓子の世界ではそういう呼び方があるんですけど、上生菓子っていう分類のお菓子の中で、その季節ごとに関連付けて、例えば今のこれからの時期だと、来月が9月なんで、桔梗の花だとか、そういう秋の長い月を、やっぱり満月を表現したり、月があって、そこに桔梗の花があって、そこにスズメがいたりとか、そんな感じでちょっと田舎の様子を表現したりだとかありますね。

山村:そうすると、買い求めに行った人は、その絵ができるように買ってほしいと思うんだけど、その辺りのところも店頭でディスプレイみたいなのはして、お見せするんですか。

三宅:ガラスとか自分のお気に入りの器で飾って、こんなふうな組み合わせで自分としては買ってほしいなと思いますけど、でもお客さんとしては、やっぱり鳥とか、かわいいものに目が行きがちで、そっちのほうが売れがちですね。

山村:そのストーリーって出してもらったら、きっとお客さまは、食べるのがもったいなくなるかもしれないけど、より和菓子を身近に、三宅さんが作ったものを感じられるような気がしますよね。

三宅:そうですね。

山村:その修行時代、今、つらかったことをお聞きしたんですけれども、逆に楽しかったことってどんなことがありますか。

三宅:自分は作ってること自体が、正直言って好きではなかったんですね、途中から。それは今も、部分があるんですけど、何が楽しいかって言われたら、自分の作ったもので、その人たちが楽しみを得て、心が豊かになるっていうのが、今、自分としては、とてもそれが自分にとってうれしいことで、SNSとかそういうとこに投稿して、自分の作ったお菓子をたくさんの方に見てもらうっていう、一つの流れが、自分の中で一番、楽しいですね。

山村:この前、実際に、目の前で作っていただいて、そのときを見ていても、ものすごく早いんでですよね、作るのが。もうびっくりするぐらい。あれは、やっぱり技術ですよね。

三宅:あれもやっぱり、人によって作り方ってまちまちで、これといった決まりってないんですけど、一番、自分がやりやすくて、結果として、ちゃんとそれが製品になればいいっていう考えで、それで自分は、例えば、手が普通の人より熱い手してんですよね。熱の温もりがあって。それってお菓子を作る上では向いてない手なんですよね。なので自分は、冬場でも手を水に浸したりとか、お菓子が一番作りやすい、おいしい条件を作ってますね。

山村:でも、やっぱり好きなんだね。

三宅:そういうふうに見えますかね。

山村:でも、そういった修行を重ねてこられて、お父さまが創業された和菓子店を継がれていくわけですよね。そのときって、お父さんとの間で、何かぶつかったりとか、意見の違いとか、そういうのはなかったですか。

三宅:跡を継ぐ、世代交代って、よくけんかしたりとか、いいことってほとんど聞かないですよね。自分の場合は、多少は言い合いぐらいはありますけど、でも顔も合わせたくないとか、そんなことないですよね。意外とその辺は、うまくいってるんじゃないかなって、自分としては。むしろけんかすること自体、不思議だなって思うんですけど。

山村:何かうまくやっていくこつがあるんですか。

三宅:多分、父のほうが、一歩引いてくれてるんじゃないかなって、自分は思ってますね。

山村:結構、主張はするんですか。

三宅:父は、一番大事にしてるのが味の面なんで、味さえ良ければいいっていう、見た目は二の次なんで。むしろ自分は、見た目が今は大事だって思ってるんで、その二つの面が重なってるから、うまくやりとりができてるんじゃないかなって思います。

山村:味って、和菓子の、例えばあんことかね、われわれって言っては失礼で、私なんかはね、甘すぎるか、ちょうどいいかぐらいしか分からないんだけど、そのちょうどいいっていうのも、何がちょうどいいかっていうのは、聞かれたら困るぐらいで分からないところもあるんだけど、その辺って、職人さんって、どの程度まで分かるもんなんですか。

三宅:甘すぎるとか、あんこによって砂糖の量って、その製品によって全て変えてるんですけど、何よりもあんこって、季節、春夏秋冬、気温、湿度、へらの入れ方、火の火加減、全ての回数とか、わずかなものに全て、その日その日変わってしまうんですよね。表情っていうか、生き物ですから。それを1年通して、何年間もやってもやっぱり、毎回初めてっていうのが正直のところで、毎回一年生の気分で作ってるんですけど、そこの中で、そのお菓子によってベストっていうのがそれぞれ存在しますね。なので、これがいいってものは、多分ないと思います。

山村:例えば毎日、その気温であるとか、あるいは火加減とか、時間とか、そういうものは記録してるんですか。

三宅:そこまで多分、したほうがいいと思うんですけど、記録として、他の人に自分のやってることを継いでもらいたいとしたら。でも、それよりも結局、職人気質は、勘っていうものを一番大事にしてるんですよね。今、糖度計とかそういう甘さを計れるものとかいろいろ出てきて、数値化するのが可能になりましたけど、その数値より一番大事なものは、やっぱり勘ですね。その勘っていうのは長い年月かけて育んでいくっていうものなんですけど、どんな職人さんでも10年ぐらいかかるって言われてますけど。

山村:私は、職人さんの世界ってすごく好きなんだけど、和菓子は、たまたま今回、三宅さんにお会いして、和菓子職人の世界っていうのも、ちょっと分かったんだけれども、大工さんの世界であっても、あるいは宮大工の世界であっても、その職人さんの世界ってすごく興味があるし、やってる仕事見るのも好きなんだけど、どの人たちも、すごく化学的に考えてるように思うんですよ。今のお話聞いててもね。温度とか湿度とかいろいろなこと。

でも、残念ながら記録はしてなくてね、例えばそれを記録していて、AIとかに、ぼんってデータを入れていったら、結構のデータ量になって、いろいろなことが分かる気がするんだけど、ただ、一方で、今のお話のように、勘が大事なんだって。そこがね、私はやっぱりすごく魅力のあるところなんですよね。それは、お父さんに、例えば、育まれたとか、何かそういうことってあるんですか。

三宅:別に、やってる過程っていうのはそんなに見てなくて、次の日できたものの製品を食べてみて、舌触りとか、くちどけのよさとか、表情とか、艶とか、そういうようなもので大体、判断されるんですけど、結局は自分で、一から十までやって、初めて分かるっていうのが多くて、そういう勘っていう部分は、一人一人育てていかないと駄目なんじゃないかなって思いますね。いくら数字でして取っといても、何事も例外ってそのときあって、いつもやってるやつとなんか違うとか、そんときによって変わるマニュアルってやっぱり存在するんで、結局は一番頼りになるのは勘ですね。

山村:なるほどね。味の面で、お父さんを越えたなって思うことってあるんですか。

三宅:自分は今、一番、仕事量が多いのは、練り切りとか、上生菓子の部分なんですけど、その点は今、自分は父を越えてるなっていう、ちょっとうぬぼれ入ってるかなって思うんですけど。越えてるつもりがあるんですけど。その面は誰にも、むしろ父どころか、この県内どこにも負けないぞっていうつもりで作ってますね。

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