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元プロ野球選手に聴く!負けない選手・チームの育み

山村:さて今回のゲストはエイジェック女子硬式野球チームヘッドコーチの宮地克彦さんです。大阪府出身の宮地さんは、香川県の尽誠学園高校の野球部に所属し、卒業後にプロ入り、西武ライオンズ、福岡ダイエーホークス、福岡ソフトバンクホークス時代には外野手としてご活躍されました。

その後独立リーグの富山サンダーバーズで選手兼コーチとして活躍された後、小山市を拠点とする栃木ゴールデンブレーブスのヘッドコーチ、2020年からはエイジェック女子硬式野球部のヘッドコーチを務めていらっしゃいます。今回はチームの拠点である小山ベースボールビレッジでお話を伺ってきました。宮地さん、きょうはお忙しい中、お時間をいただきましてありがとうございます。

宮地:とんでもないです。

山村:きょうですね。本当にいろいろお話を伺いたいことがあるんですけれども、まず私が一番やっぱり印象に残ったことというか、多分このラジオを聞いていらっしゃる方で宮地さんをご存じの方は、多分その言葉が一番印象に残ってると思うんですけど、例のリストラの星っていう。あれはどなたがネーミングを付けたのか分からないんだけど。

宮地:僕も誰なのかは分からないですけど、気が付けばそういうふうに言われましたね。

山村:あれはどうなんですか。ご自分でそういうふうに表現されることは。

宮地:僕が生きてきた人生というか、野球歴の中でぴったりのネーミングだとは思います。

山村:でも、今のいろいろなネットなんかで書かれてるものを拝見してて、決してリストラじゃないなって思いながら見せていただいたんですよね。

宮地:僕自身が確かに1年契約の世界で30年以上過ごしてますので、俗に言う悪い言い方をすればクビ。何となくぼかして言ったら自由契約というような表現をされますけど、何度も職を失うというのは経験はしてます、確かに。ただ、そうは言っても何度も経験をしていくうちに、結局は自分がやりたいことというか信念というか、それに基づいた結果、たまたまご縁がなくて辞めなければいけないっていう。

でも、その辞めなければいけないっていうのと同時に、次何しようかなっていう、簡単ではないと思うんですけど、切り替えるっていうのはできるほうだと思います。あんまりネガティブに捉えない性格ではあります。

山村:明るい性格だって。

宮地:捉え方によっては悲惨だなっていうような捉え方されるんですけど、意外と私自身はそんなに悲観的にはなってなくて。

山村:でも、自由契約とかになっても次の球団があったり、あるいはトライアウトでしたっけ? ダイエーでしたっけに行くとか。その後もBCリーグのほうとかね。あるいはコーチとか。でも、すごくある意味では順当というかの人生じゃないですか。

宮地:結果論で行くと、僕一度もまだユニフォーム脱いだことないんですよ。ユニフォームは変わりますけど、ユニフォームをずっと、それこそプロ入って18歳からですから約本当に30年、現役から指導者に変わってますけど、一度も現場から離れたことがなくてですね。これを運と捉えるのか偶然なのかは分からないですけど、一番苦しいとき、つらいときに救世主が現れてくれるというか、すごいひょんなところからお仕事のお声が掛かったりっていう。全然ねらってないんですよ、こっちは。辞めるのを前提で次探してるとかじゃなくて、全然辞めるつもりはないんですけど、結果的に辞めなければいけない。次どうしようってなったときに救世主現わるみたいな。

山村:でもそれは日ごろのね、やっぱり。

宮地:それを僕は運と捉えるのではなくて、やっぱりそれはどこのユニフォームを着ても、そこで取りあえず全力でやるっていう単純なんですけど、それを最初から最後まで貫くことによって、やっぱりその次がちゃんとあるっていう、変な自信じゃないんですけど、何かあるんですよね。ただし、やっておけば結果的にはまた戻ってくるというか。

山村:なんか分かる気がします。

宮地:そういうようなスタンスでここまでやってきましたね。

山村:今、メンタルトレーニングなのか、そういった日ごろのルーティーンというか、どんなことをされてるんですか。心掛けているんですか。

宮地:これはかっこ良く、そういう複雑なことではなくて、本当、結局最終的には、例えば今の女子野球を見るようになって、やんなきゃいけないなと思ってるのは、とにかくあいさつですよね。あいさつというか、あいさつって言っても結構いろいろあるんですよね。受け取るほうがどう思うかっていうところを考えると、笑顔であいさつするのと、ぶっきらぼうにあいさつするのも違いますし。

朝起きてちゃんとシャワーを浴びて、一応身だしなみもきちっと整えてあいさつするのと、ちょっと寝起きでボサボサっとしたような感じでおはようって言われるのと、相手に与える印象が違うっていうのと、あとはちょっとだけ1.5倍ぐらい声のトーンを上げるとか、声を大きくするとかで、また相手の印象も変わりますし。おはようございますの一言も、深く考えれば簡単じゃないっていうの、僕、分かってしまったですよ。

そういうあいさつだったり笑顔だったり、小学生が学校で教えられるような当たり前過ぎることを、当たり前と捉えずに真剣にやるというか。僕のいい性格なところは、意外と持続力があるんです。

山村:それは一番いいね。

宮地:飽きっぽくはないんですね。凝り性なところがあって、些細なことも飽きずに継続してできるタイプではあったんですよ。ただ根気良く継続してっていうのを実践できるので、多分信頼は小さなことの積み重ねだと思っているんで。でも、ティッシュペーパー一枚一枚を重ねていくような作業を、それを3日ぐらいだったら誰でもできますよ。これを10年単位でってなったら、これはなかなかできることではないと思うんですね。でも、そういうことが一番大事なんだろうなっていうのは、30歳超えてから分かってきましたね。

山村:30歳っていうと。

宮地:僕が初めに西武ライオンズをクビになったのが33歳なんですよ。そこからですね、僕が生まれ変わったきっかけは。一番最初にクビをくらったときです。これも単純なんですけど、失って初めて分かる大事なものって、結構皆さんあるじゃないですか。僕も全くそのとおりで、現役をやってるときは、例えば野球をクビになったとしても、次違う仕事をしてとか、こんな仕事してみたいなとか、結構お気楽な感じで構えてたんですけど。

実際やっぱりそうやって言われると真っ白になってしまって、改めて気付く訳ですよ。自分には野球しかないってことが。でもクビじゃないですか。もう遅いんですよね、気付くのが。だから、だったらなんでもっと現役のときにもっと一生懸命やってなかったんだろうっていう後悔を当たり前のようにするわけですよ。でも遅いじゃないですか。そこの1回目そういうふうな状態から、ダイエーホークスに最終的にはテストで拾ってもらうことができたんですけど、そのとき実は僕、テストを5回落ちてるんですよ。

山村:そんなふうに書かれてて。

宮地:ロッテ受けて駄目で、近鉄受けて駄目、横浜受けて駄目、トライアウト1回目駄目、トライアウト2回目駄目って、5回受けて落ちてて、本当に終わってしまいそうだったんですよ。ところが、ある1人に選手がFA宣言することによって、僕がダイエーホークスにチャンスっていうのがあって、たまたまそれでそのチャンスを生かして、ユニフォームをもう1回着ることができたんですよ。

プロ野球選手って高校、大学とかで活躍をして、それが認められてドラフトされるわけじゃないですか。僕も甲子園のときそうだったんですけど、プロ野球選手になりたいっていうのは夢の話で、結局必死になって試合してただけなんですよ。それを認められて指名されて、プロ野球選手になったというよりも、なっちゃったんですよ。何か明確に勉強をして、面接受けて入社試験受けたとかっていう、そういう流れではなくて。

プロ野球選手、部活動がいつの間にかお給料が発生する仕事になったんですよ、野球が。でもやってることは野球じゃないですか。それのスイッチがまだまだ僕が若いときにはスイッチが入ってなかったんだと思うんですよね。

山村:でもダイエーとソフトバンクっていうチームは、宮地さんにとってはすごく大事なところなんだね。今お話を聞くと。だって野球を本当に自分の手で、プロ野球人としてっていうのを勝ち取った。それからあきらめるというか、現役はもうこれでいいって思って、コーチで来ないかって言われたのもソフトバンクなんだもんね。

宮地:だから本当に何か、自分のことばっかり考えてましたけど、結局いつでも取りあえずは目の前のことを一生懸命やってたら、誰かが見てくれてるというか。ある人から、トレードに出してくれてたこともあるんです。でもトレードは決めるのは球団なので、自分の思いどおりにはいかないんですよ。ちょっとだから、なんで俺こんなにやってるの1軍に行けないんだろうって、ちょっとイラッとというか、モヤっとというのがあったときに、ライオンズはおまえを認めないかもしれないけど、誰がどこで見てるか分からないから、やっぱりそれを考えたら、そういう理由でやる気がなくなるっていうのはちょっとおかしいんちゃうかっていう話で。

ライオンズに認めさせるよりも他の球団に認めさせたらええんちゃうんっていうようなアドバイスをいただいた人がいて、ちょっとそれで、じゃあほんまに死ぬほど打ったろうと思って。それでも1軍に上げんかったら、いろいろ思いはあったんですけど、結局誰が見てるか分からない。それがすごい頭の中に残ってて、ずっとそれを実践してるんですよ。

山村:それはちなみに球団関係の人なんですか。それとも全く別な分野の人なんですか。

宮地:野茂さん。

山村:野茂英雄?

宮地:野茂英雄。野茂さんと、もう1人立花龍司さんっていうトレーニングコーチをやられてる方、あの方、僕、高校の尽誠学園のときに教えてもらってた人なんですよ。野茂さんと立花さんはいつもライオンズのナイターに来たときに、野茂さんが先発じゃないときはライオンズの室内のウエイトルームでトレーニングをするんですよ。僕、寮生だったので、立花さんに呼ばれて、いつも野茂さんと立花さんと僕の3人で結構お話をしてて、僕が愚痴るわけですよ。

全然使ってくれないんですよとか。僕も若かったんで。それで2人、野茂さんとかにも、そんなのおまえ、ライオンズじゃなくてもプロ野球はいくらでもあるだろうとかいろいろと。僕も子どもだったんでアドバイスしていただいて、俺だっておまえ大阪の、立花さんなんですけど。大阪のダイナミックスポーツセンターで何も認めてもらえなくて、でもいきなりおまえ、近鉄にトレーニングコーチで来てくれっておまえ、いきなり俺、オファー来たしなって言って。おまえ、何が起こるか分からんぞ、人生って。そうですよねって言って。分かりました。じゃあ、もうちょっと頑張りますみたいな。

山村:すごいでも出会いというか、一言だね。

宮地:僕は節目節目というか、ポイントポイントでたまたま言い方に出会ってるというか、言い方にちょっと叱咤激励をもらってるなと思います。

山村:なかなかそういう出会いは、したくてもできないのかもしれないんだけど、でもそういう出会いは必ずあるっていうふうに、森信三先生なんか言ってるんだけど。だから、それがちゃんとあったんだね。きっと出会うべき人だったんだね。

宮地:指導者になってからは、やっぱり僕がやってるのはものづくりではないので、人づくりであるんじゃないですか。だから、ものづくりっていうのは、つくる過程で失敗だったら廃棄もできますし、やり直しもできますけど、人づくりって廃棄もできないですし、やり直しは効かないので。だから、僕はやっぱり血の通った人を育てるっていう指導者っていう職業をやっているので、人が大事っていうのはもう分かっているんですよ。

だから、同じ言葉も人によって伝え方も違うし、伝わり方も違うじゃないですか。だからやっぱり僕はもう言葉に気持ちを乗っけってっていうのは、それこそ言霊は真剣に信じてるタイプなんで。

山村:でも今の話もよく分かる、理解できる話だなと思って。今、女子野球に携わって、その前は男性ですよね。

宮地:ゴールデンブレイブスのヘッドコーチを2年間やらせていただきました。

山村:で、今。

宮地:女子を見て、2年目になります。

山村:大きな違いってなんですか。

宮地:男性を教えるよりも、女性を教えるほうが難しいです。僕は最初男性も女性も野球を教えることには変わりないので、野球という観点から入っていけば、絶対に教えれるっていう自信がありました。就任最初の、1月から就任したので、その気持ちでやった3月に本当うつになって倒れそうでした。

山村:女子を見るようになって。それどうしてなんですか。

宮地:何気なく使っていた言葉だったり、僕が野球界では通用していた言葉が、女子野球というよりも女性世界には全く通用しないっていうのが、2カ月間でだいぶ分かりました。その結果、本当に無理やと思いましたね。

山村:引き受けて失敗だった。

宮地:本当に。

山村:気持ち分かるな。

宮地:でも、そこから僕なりに分析と、いろいろと。例えば、作新高校女子野球部が伝統であるじゃないですか。田代さんが監督をされてて、僕、女子をやりますって。で、ちょっとワンポイントアドバイスというか、女子を教えるにあたって何かアドバイスありませんかってお伺いしたところ、宮地くん、あいさつ。申し訳ないけど、一人一人とあいさつすることから始めようかって。

どういうことですかって。例えば全員で集まりましたって。おはようって1回で済みますよね。違う。一人一人目を見て、おはよう、おはよう、きょうなんか元気だねとか、一人一人目を見てあいさつをするところからがスタートだよって言われたんですよ。ピンとは来てないです、僕。そうなんですねぐらいな感じで。ところが、これはリアルだなと。ある1人の選手は裏では、きょうは宮地さんにあいさつしてもらえなかった。

その結果、私は宮地さんに嫌われた。その結果、きょう練習やる気がない。その結果、もう私、野球辞めるって。そんなところまで話が行くんですよ。分かります?

山村:分かる。分かりますよ。私、幼稚園の経営やってて、みんな若い女性だから。

宮地:いろいろと経験をして、女子アスリートに対して指導する上で大事なことをまとめました。説明と納得。

山村:インフォームドコンセントだね。

宮地:女性には、まずどんなに細かいことであっても、まずみんなの前で説明をしてあげる。説明をした後、納得をしてもらう。この2段階をクリアすれば、男性よりも女性のほうが、僕が見てなくても頑張ってくれます、女性は。ただその説明と納得をちょっとおろそかにすると、知らないところでブォーっと大きなものになってます。

山村:これから選手どんな育成を、まさにこの番組で言えば育んでいきたいというふうに思われているんですか。

宮地:一応、大きく女子硬式野球っていうので捉えると、まだまだ認知されてないんですよね。このエイジェックっていう会社が作った女子野球チームというのは、要は男性並みの社会人野球なわけですよ。お仕事をしながら野球をして、お金がもらえる。だから生活ができるんですね。野球をしながら生活ができるっていう。女子野球ではすごいことだと思うんですよ。男性野球ですとプロがあって、社会人があってって、いろいろシステムはきちっと構築されてるんですけど。

女子野球がいよいよここまで来たなっていう。実際に高校女子野球っていうのが今増えてきているんですよ。僕もびっくりしたんですけど、この10年ですごい勢いで増加してるんですよ。でも、大学も女子野球部を持ってる大学が全国でまだ10行かないんですよ。だから高校がここまで伸びてきているのに、そこから上の受け皿がちょっと小さいんですよね。結局クラブチームになっちゃうんですよ、最終的には。

クラブチームっていうのは、皆さん仕事を、バラバラで仕事をして、土日だけ集まって野球やりましょうって。もちろんそれもすばらしいことなんですけど、やっぱり夢のあるってなってくると、女子プロ野球も一応あるじゃないですか。そこがいよいよ10年をたって、ちょっと崩壊しつつあるんですよ。それを歯止めをかけたい。エイジェックという野球をやる女子選手に対して、もっと上のところで受け皿を作る役目を多分やるのがエイジェックだと思うんですよ、今後。

僕はそのエイジェックという女子野球チームは、この女子野球界を引っ張っていくようなチームにしたいっていうのが僕の夢というか。できれば今、ライオンズレディースっていうチームが今年できたんですね。初めてライオンズのユニフォームを承認を得て、ライオン・・・。

山村:女性も着られるという。

宮地:女性がライオンズの、本当のライオンズのユニフォームを着て、試合ができるっていう。それがライオンズレディースっていう、今1チームができたので、例えばジャイアンツレディース、ソフトバンクレディースができて、女性版12球団じゃないですけど、そういう試合がお客さんが来るなかで、例えばナイターやってる試合の前に女子のジャイアンツ対西武の試合があって、夜はそのままプロ野球があってっていう、そういう夢のある女子野球を作りたいというか。そこにエイジェックというのも企業チームとして入って、何か大学よりも上の、ちゃんとお金ももらえる女子野球のリーグを作りたい。

山村:なかなか道のりは大変かもしれないけどね。

宮地:これは厳しいと思います。

山村:でも、きょう、ありがとうございました。

宮地:とんでもないです。

山村:本当楽しかったです。ありがとうございます。

宮地:こちらこそ楽しかったです。

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