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自衛隊地方協力本部長に聴く!人を助ける使命感の育み

山村:今回のゲストは、自衛隊地方協力本部長1等陸佐の稲田裕一さんをお迎えしています。稲田さんは北海道でお生まれになり、平成2年に防衛大学校をご卒業後、自衛隊に入隊、第1空挺団普通科群を皮切りに日本各地での勤務をされ、平成21年には国際平和協力隊など、海外での任務にも当たっていらっしゃいます。そして、令和2年8月から第8代自衛隊栃木地方協力本部長に着任なさいました。きょうはお忙しいところ、ありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします。

稲田:稲田です。よろしくお願いします。

山村:着任されて5ヶ月ということですけれども、栃木県、いかがですか。

稲田:非常に住みやすい所です。特に宇都宮は、まさに住めば愉快だ宇都宮というところで、私、全任地、また、その前の所、結構、田舎というか都会じゃない所に暮らして生活しておりましたので、宇都宮の大都会です。北関東一の大都会、非常に住みやすいし、それに歴史と文化もあるという街でございますので、私の趣味にも合う、非常にいい街で、楽しく過ごしております。

山村:ありがとうございます。宇都宮の人たちっていうのかなあ、は、いかがですか。

稲田:これ、まだ職員には内緒なんですけど、恥ずかしい話なので。宇都宮に着任して、2日目で財布を落としたんです、街の中で。これ、顔、青くなって、いろいろ関係省庁、警察とかに電話して、出てこないなあと思ったら、次の日、警察から電話、かかってきて、届いているっていうんです。それを見てびっくりしまして、取りに行ったら完全な状態で残っていると。

山村:中身も。

稲田:中身も残っているし。これ、お礼したいんですけどと、係の方に聞いたら、その人は名も言わず、お礼も一切いらないと出ていきましたっていうところに感動しまして、これはすごい、何という優しい街なんだと。

あと、もう一点が、私は北海道函館市出身なんですけど、この間、ある日突然、80過ぎのおじいちゃんが訪ねてきまして、何かなあと思ったら、新聞に私の記事が出たんで、函館市出身と書いてたら、この函館出身の、この人に会いたいっていうのを会いに来てくれて。この人は昔、函館に30年ぐらいいて、函館弁が聞きたいし、こういう人が宇都宮、いたのかって会いに来てくれて。聞いたら、小学校、同じだったんです。

山村:同郷の。

稲田:同郷の。涙、うるうるさせながら話をしてくれて、感動しました。それが突然、現れて。

山村:それは、何かが引き寄せてくれたんだろうと思いますけど。いいお話ですよね。お仕事の内容をお聞きする前に、どうしてもお聞きしたくなるのは、自衛隊に入隊しようって思ったのは、どういうことがきっかけだったんですか。

稲田:これは、いろいろ要素はあるんです。また、後ほど、つい最近、もしかしたらこういうことが原因で、私、自衛隊に入ったのかなあと思うこともあるんですけど、まずは、やりたいことが決まってなかったんですよね、高校生のときって。一体、俺はなんになるんかなあと。

ところが、自分の祖父が満州の軍人だったんです。戦争が終わったときに、うちの親と命からがら引き揚げてきて。獣医だったんですよね。軍医ということで、獣医ということで、旧満州軍の。いろいろ、こういう話を小さいときに聞かされて、防衛大学校という所があると、いい所だぞというところで、ぜひ、そういう所を受験してみないかというのを言われましたし。

また、自宅近傍に大きな自衛隊があったんです。自衛隊がありまして、駐屯地っていうんですけど、陸上自衛隊の。そこの友達、親が自衛隊に勤めていて、駐屯地のお祭りとか行ってるということはありました。あとは、一番大きかったのは、とにかく地元、北海道を出たかったと。何とか出る方法はないのかなあと思って。

山村:高校生らしいあれですね。

稲田:そうなんです。北海道って地元とか、親戚付き合いとか、そういうの、あるんです。よく集まって。そういうのがすごく嫌だったので、早く親元から出たいなあっていうのが一番の理由なんです。

最近、読んだ本で、後からお話します。もしかしたら、こういうことで自分も自衛隊に入りたかったのかなあと思うこと。そういったことが大きいです。

山村:今、せっかくだからどうぞ、何か、読まれたのは。

稲田:実は、制服とは何かという本を読んだんです。実は、北海道の高校は、結構、昔の学生運動のときとか、いろいろな運動があって、私服の学校が多かったんですよね。私も3年間、高校で、私服で過ごしたわけなんです。どうも、そういう私服で生活していると、学校とか、組織とかに愛着心が持たないのかなあと。そういうところで、制服とか、そういう物によって自分の組織に愛着、持てるようなところはないのかなあというのを、最近、思って、その本を読んだときに。

今、学校で制服を着させるというのは、学校の愛着心を持たせるとか、そういうような話もあると思うんですけれども、そこで3年間、生活してきたので、こういう制服に憧れたとか。今年は三島由紀夫が亡くなって50年。

山村:50年。

稲田:楯の会の、ああいう制服とか見て、こういう制服がいいなあとか。あと、大学の応援団もいいなあとか、ああいう学ラン着て、統制された美もいいのかなあと、そんなこと、思って、そういうこと(####@00:08:11)結局、自衛隊がマッチしているのかなあと。格好いい制服に憧れたというか、そういう組織に、こういうのを着て、愛着心が持てる生活をしてみたいなあというのが、あったのが、最近、そう思いました。もしかして、こういう気持ちでもいて、自衛隊に入ってみようかなあと思ったところ(####@00:08:29)。

山村:どうですか、今、ご自分が着ていらっしゃる制服。

稲田:実は、これ、自衛隊でも、私、陸上自衛隊の制服、今、着ているんですけど、三つ目なんです。防衛大学校の制服は非常に、スマートに短ランで格好良かったんですけど、最初に入った陸上自衛隊のやつは、今でもあまり評判が良くないというか、土色の。一体、どこの国の制服だというのは。

その次に、緑になりまして、陸上自衛隊っぽくなりまして、今、紫紺っていうんですか。つい3年ぐらい、変わったんですけど、新しく、陸上自衛隊。非常に、これも最近の流行にマッチしたような、ちょっとした。

山村:細身にできている。

稲田:細身にできているんです、ズボンとか、まさに。そういった最新の流行等をなかなか、私も気に入ってます。

山村:格好いいです。

稲田:ありがとうございます。

山村:いっぱいバッジも付いていて。

稲田:いいえ。

山村:偉い人なんだなあっていうのがよく分かる。

稲田:偉くはないですけど。

山村:いいえ。北海道、今、新型コロナの問題で、旭川も医療崩壊に近いということで、ニュースになっていますけど。

稲田:私、妹も医療従事者なんです。ちょっとした。札幌でも結構、大変な思いをしていると。子どももいますし、子ども、預けつつ、今、大変な思いをしているということも伺ってます。

山村:旭川は、自衛隊は、看護師さんはまだ入って。

稲田:入って。

山村:入ってますか。

稲田:活動はしています。

山村:そうですか。本当に、そういう意味では、このコロナの問題っていうのは災害だなあと思うんですけれども、災害派遣に関しては、稲田さんは、行かれたことっていうのはあるんですよね。

稲田:自衛隊、入ってから、若いときからいろいろな災害派遣の経験、現場に、司令部の幕僚っていうか、担当で行ったり、現場指揮官ということで隊員を指揮して、いろいろな場面に行っております。

大きなもので東日本大震災。その前も、阪神淡路大震災のあたりから行きまして、阪神淡路、東日本、熊本、最近では去年の、栃木もかなり被害、ありました、台風19号のほうも司令部のほうで勤務しておりまして、現場のほう、確認しつつ、部隊の活動を支えて、経験はございます。

山村:災害派遣、行かれて、お話できる範囲でいいんですけど、エピソードのようなものとか、何か感じていることっていうの、あったらお聞かせいただきたいんですけど。

稲田:非常に、隊員が生き生きとします。生き生きというか、まさに、このときにこそ自衛隊があるんだということで、災害派遣に行くとなると隊員の目の色が変わって、真剣にやってくれます。24時間、夜も欠かさず、いろいろ作業をするということで、このときじゃないとわれわれの存在意義がないというぐらいに、災害派遣っていう実任務については、やってくれているというのは、指揮官としては思います。思ったところです、いろいろと。

また、こういった炊き出しの支援とか、給水の支援とか、やってもらって、いろいろな意味で感謝される、感謝の言葉をいただけるというのが、一番のやりがいなんでしょう、そこは。

ただ、一方で、悲しい災害派遣というか、人命救助の場面に行ったんですが、非常に広い水害の地域で、この地域に行方不明者の方がいるっていう捜索を、いくら探しても出てこないと、発見することに至らないと。ここにいるんだろうということで、隊員と一緒に重機、ドーザーとか、クレーン等を使って捜索するのが出てこないと。1日も早く家族の元に、行方不明者の方を帰したいという思いも強かったんですが、最終的には発見するに至らなかったことは、非常に悔やまれるような経験もございます。

山村:災害派遣って、確かに、今の話のように、みんなから感謝される部分っていうのはあると思うんですけど、そうじゃない部分っていうのも、実際にはあるわけでしょう。

稲田:そうですね。これはあまり言ってはいけないっていうか、例えば、道路を1本挟んで、全然、被害がない所があると。こちらは水に浸って、住民総掛かりで復旧作業をやっているんですが、1本挟んだだけで、全く被害がなくて、夜間も電気がついていると。こっちは停電になると。この1本を加えることで違うんです、生活環境が。そういうところでいくと、われわれが作業していると、どうしてもこちらのほう、復旧している被災者のかたがたも、われわれに対する目も、どっちかというと、あまり口も利いてくれないというか、そういうつらい思いをしながら、われわれもやるっていう、そういう現場にも、出くわしたこともあります。

山村:私もいろいろなニュースを聞いたりとか、特に東日本大震災のときには、10日後ぐらいから被災地に、支援に行ったんですよね。1週間に1度ぐらいずつ。そのときに、自衛隊の人たちが活躍されている姿っていうのは、よく目の当たりにして、この人たちのおかげだなあって思うところがあって、もちろん、そうなんだけど、でも、きっと、この災害派遣の中で、自衛隊の人たちがつらい思いもしながらやっていることもあるんだろうなあって思うと、本当に切なくなるところがあって、被災者の方も、もちろん気の毒なんだけど、そこに、支援に行く人たちも、まさに危険を顧みずっていうところもあるんだろうなあと思って、本当に切なくなった思いがあるんだけど。

稲田:現場の隊員は相当、我慢をさせてます。指揮官として、被災者の方がほしいんですけど、隊員に対しては非常に申し訳ないっていうようなことも、感じたこともあります。食事も制限されますし、被災者のかたがたの前では、われわれ、食事も食えないですし、寝れないですし。

山村:多分、そういう配慮に配慮を重ねて、支援があるんだっていうことって、なかなか、伝わらない部分じゃないですか。

稲田:あまり、そこは表には出ないことで。

山村:でも、本当はそういう部分があって初めて、フィフティー・フィフティーの中での支援っていうのを考えられるのかなあなんて思ったりもするんですけど。子どもの時代っていうのは、どんなお子さんだったんですか。

稲田:私が、手前みそですけど、小学校の頃は、かなり優秀なお坊ちゃんだったんじゃないかなあなんて、思ってはいますけれども、親が結構、厳しい親でしたので。特におやじが、かなり厳しい、手が出る、足が出るようなおやじでありましたし。

あとは、弟に障害がありましたので、どちらかというと弟のほうを、面倒を見て(####@00:16:01)、私のほうは、あまり、どちらかというと放っておかれたかっていうような。そういうのは、小学校・中学校時代は送っていたように言われます。

山村:優秀なお子さんで、スポーツとかも結構、されていたんですか。

稲田:高校時代はラグビーもやっていたんですけど、これもさっきの話なんですけど、高校時代は結構、ふわふわしていたんです。ラグビーも部活、やってたんだけど、そんな強い学校ではなかったんですけど、当時、はやりで『スクール・ウォーズ』っていうのがあって、結構、やんちゃな、部室で、言っていいのか、たばこ、吸うような、そして酒の、ビールの缶があって、停学も食らったことがありますし、そんな高校時代を送っていて。

山村:ある意味、おおらかな時代ですもんね。

稲田:おおらかな時代ですし、北海道っていう気質も、そういう土地柄ですから。

山村:そういう北海道の、大地の中で、優秀な少年だったお子さんが、こんな立派になられて。

稲田:いいえ。

山村:お父さんやお母さんも、きっと、喜ばれているでしょう。

稲田:喜んで。何より喜ばれたのは防衛大学校、入って、お金がかからないことでした。今、自分の娘が大学生なんですけど、大学、行かせるのに、こんなお金、かかるのかと。この分、自分の親、払ってなかったと思うと、ばか野郎なんて思ったぐらい。

山村:本部長にしておくのは惜しい逸材ですよね。

稲田:いいや。

山村:こうやって話していると。

稲田:そんなことないです。

山村:すごく気さくで、きっと職員の方もやりやすいんじゃないですか。

稲田:どう思っているか分かりません、そこは。陰で何、言われているか分からないし。この性格なんで。

山村:職員の方、隊員の方に向けてのことと、今のような、地方協力本部のような仕事の面で、職員の方に接するときの接し方というか、何か変わるんですか。

稲田:それは変わります。部外の人に、仕事の顔を持っていますから。部内の人間については、これは、仕事は仕事でしっかり割り切って、私は今まで、部隊経験で培ったことであること、司令部等で幕僚と、スタッフとして勤務していたこと、こういった指導を、今まで経験したことを、ぜひ、こういうのをやれっていうことで、それは言っております。

あまり時間も、私も結構、せっかちな性格ですから、時間もかける(####@00:18:46)、すぱっと、指針というか、こうやれっていうのを言って、それは一言、言ったことを、うちのスタッフの連中が、どう組み替えて膨らましていくのかっていう、楽しみにしながら、膨らましてきたやつを、これはいいやっていうので、どんどんくみ取っていくようなことでやっておりますけど。

山村:前半が、そろそろお時間になると思うんですけど、地方協力本部っていうの、実際、どういうことをされているのかというの、簡単にご紹介いただけますか。

稲田:地方協力本部というのは、防衛省、自衛隊の、地方自治体との総合窓口というようなことで、広報・渉外業務をやっておるんですけれども、主には、全国、今、24~25万人いる自衛隊員の、募集のほうをやっております。リクルート事務所です、要は。今、全国47都道府県に50個の地方協力本部がありまして、栃木県内っていうのも五つの募集事務所を設けまして、主に隊員の募集であるとか、退職自衛官の、就職援護のほう、また、平素、企業とかで働いている即応予備自衛官・予備自衛官の採用業務等の実施でございます。

山村:自衛隊になりたい方は、地方協力本部にということなんですね。

稲田:はい。

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